前回、「デザイナーの僕が感じる、五輪エンブレム盗用疑惑について」という記事を書いたところ、思いのほか反響がありました。世間で話題になっているから当たり前といえば当たり前なんだけど、記事を書いたことによる自分の考えの変化や、世間やインターネット上での反応と自分の考えとに違和感があったので、そこらへんのことを書きたい思います。
『盗用疑惑』の記事を書くにいたった動機
僕がこのブログを更新する理由は、もちろん『たくさんの人に読んでもらいたい』という思いがあります。ブログの内容は自分が仕事としてやっているグラフィックデザインのことが多いので、見にきてくれる方も必然的にそういう関連の人が多いです。日々、グラフィック関連のブログネタを考えていたりもします。
今回も最初の動機としては「世間で話題になっているし、俺も一応グラフィックデザイナーだから、エンブレムの盗用疑惑の件でも書こうか」くらいの軽いノリでした。
当初は佐野さんのことも、エンブレムの採用過程も、全く把握していません。「あ〜テレビでやってるな〜」「このデザイナー、パクっちゃったんだな〜」ぐらいの感覚です。ただ、記事を書くためには色々と調べる必要があるので、ネットやSNSを使って情報収集をはじめました。
そして、情報収集をすればするほど、僕の考え方も「あれ?なんか世間が言っているパクったという話と、実際の佐野さんが作ったエンブレムの話に違和感があるな?」「佐野さん、パクってないんじゃないの?」という方向に、変わっていきました。
内容は前回の記事で書いているので割愛しますが、深く調べずに、薄い情報だけをインプットしていた『パクったかもね』という状態から、自分で時間をかけて調べ、自分の経験値も踏まえて考えた結果『これはパクってないだろ』という考えに変わったのです。
アクセスが急増
僕のブログは、それまで一日に30人くらいの方が見にきてくれていました。エンブレムの件は時事ネタでもあるので、正直それなりにアクセスも増えるかなと期待もしていました。すると案の定、記事を投稿して何日かするとアクセスが増え始め、一週間後ぐらいには一日1500人ぐらいになっていました。
今はもう落ち着いているので、普段と同じぐらいのアクセスに戻りましたが、これだけの急増は初めての体験だったのでとても驚きました。時事ネタ、SNSでの拡散というのは本当に威力があるんだなと思う反面、少し怖い気がしました。
1人の発言が多数の人の思考を左右するかもしれない。たった一度の「いいね」が、何百何千という人の思考を左右するかもしれない。僕がこのとき思ったのは、「訪問者を増やしたい」という最初の考えから、「グラフィックデザイナーとしての率直な感想を言いたい」に変わっていました。
最初に記事をアップしたあとも、何度か加筆修正を加えて、なるべくわかりやすく、グラフィックデザイナーという視点から客観的な記事になるようにしました。佐野さんに特に思い入れがあるわけでもなく、会ったこともないので、特に擁護しようと思っていたわけではありません。色々と自分で調べていくうちに、世間一般で言われているようなパクリと、デザイナーとしての僕が感じた「いやいやいや、それはないでしょ」っていう気持ちがどんどん強くなっていった感じです。
自分もグラフィックデザイナーという職業のせいか、だんだんと当事者の意識に近くなっていくのを感じました。そんな自分の気持ちを正直に書いた記事に、一定数の「いいね」や「ツイート」をいただいたので、特定数の方からはある程度共感されたのかなと思っています。そして、ありがたいことにいくつかのコメントもいただきました。
批判的なコメント
アクセスが増えるとコメントが入るらしいということは知っていましたが、今まで半年以上このブログを運営していてコメントがきたことはなかったので、実際にコメントをいただくと嬉しかったです。それが、たとえ批判的なコメントであったとしても…
コメントは基本的に前回の記事で公開していますが、「お前なんかデザイナーじゃねえ!」「恥を知れ!」みたいな、誹謗中傷のような内容もありました(笑)
世論の大半は、未だにあれはパクリだという見方になっているし、むしろ、他にもどんどん粗探しをして、どんどん陥れてやろうみたいな動きになっているように感じます。その中で「あれはパクってないと思いますよ」っていう記事を投稿しているので、ある程度の批判は覚悟していたし、こういうコメントは特に気にもしていません。
ただ、前回の五輪エンブレムの盗用疑惑の記事を投稿して良かったなと思うのは『こういう件でよくある、当事者と世論とでは真実のところで結構食い違いが起こっていて、それでも世論がどんどん一人歩きしてしまうという現象』を、少しだけ当事者側の立場から感じることができたことです。
世論とのずれ
たとえば、以前の僕ならSNSやインターネット、テレビなどで叩かれている有名人なんかを見ていても、特に何の感情も持っていませんでした。
ある日、今回の件でテレビのコメンテーターが「あれは間違いなくパクリでしょ」と言っているのを見かけました。以前の僕であれば、このコメンテーターが言っていた言葉に「そうだよな〜」と同調していたのかもしれません。ただ、今回の僕は自分でブログを書くにあたり、自分で調べて、自分の頭で考えて、自分の答えを導き出していたので「あれは間違いなくパクリでしょ」というコメンテーターの話を聞いて、とてもがっかりしました。
「そんな軽い発言してもいいの?」「その発言で1人の人生が変わってしまうかもしれないんだよ」「きちんと下調べしたうえで言ってんの?」と、猛烈に感じました。
今回、インターネット上やSNS上でも同じようなことを感じます。ただ、流れにのってメディアや個人が流すうわべの情報に、簡単に同意してしまっていいのか?もっと自分の頭で考えなくてもいいのか?と感じます。
視聴率、Webのアクセス、いいね、が多ければ多いほど、そこにはたくさんのお金だったり、なにかしらの利益がもたらされるという商売自体はもちろん否定しません。
ただ、発信する側もきちんとした情報の裏取りや、自分の意見を反映した情報を流すという当たり前のことをやっていない。むしろ、真実をわかったうえで、あえて視聴率やアクセス目当てに、湾曲させた情報を故意に流して利益を得ようとする、一部メディアや個人がいるように思えます。
一旦冷静になって考えるって大事
今回の件で感じたのは『一旦冷静になって、自分の頭でしっかりと考えて、自分の意見をしっかりと持つ』ということが、やっぱり大事だなということ。
たとえ、今回の件が正式にパクリではないことが証明されたとしても、今まで「佐野さんがパクリだ」と声高に言っていたコメンテーターや、ネット上で叩きまくっている人たちは、きっと謝罪なんてしないですよね。そして謝罪しないことに、世間も突っ込まないですよね。
言いやすい人に言う、叩きやすい人を叩くっていう風潮。ある意味イジメ問題とかに近い感覚なのかなと感じました。SNSで流れてくる限られた情報だけで判断して「いいね」する。「テレビのコメンテーターが言うことは間違いない」って考える一般視聴者。僕もちょっと前までは、こっち側の人間だったのかもしれません。
人に流されずに自分の意思を持つというのは、日本人には不得意なことなのかもしれないけど、もう少し冷静になって「SNSやインターネットの情報が全てではない」「テレビで言っていることが全てではない」ということを頭に置きながら、自分の頭でしっかりと考えて、自分の意見をしっかりと持つ。これが大事だなんだと今回改めて感じました。
hironobu okudaさんという方が書かれている、「佐野さんの件について思うこと」という記事が、僕にはとても共感できたので、まだ読んでいないという方はぜひ読んでみてください。
最後にhironobu okudaさんと同じく、僕も植原 亮輔さんという方のFACEBOOK上の投稿を、勝手に引用(すいません…)させていただき終わりとさせていただきます。
本人がパクりじゃないって言ってるんだからパクりじゃないだろうし、ましてや「人を疑う」ということのほうが大きな罪だと思う。(時々起こる不思議な現象であるが、)人を奈落の底に落とそうとする大衆の大きなうねりの中に入り、その歯車の一部になってはいけない。
佐野くんを批判する大衆の皆さん、
想像してください。崖から落ちそうになっている人間に手を差し伸べるではなく、ひとりずつ笑いながら指で押して崖から落とすようなことをしているのです。
面白がってパクりだと言い始めたネットユーザーの「悪魔の囁き」に助長することは決してやってはいけない。
佐野くんの人生を何だと思ってる?
彼の素晴らしい人柄、彼の行ってきた多くの素晴らしい仕事を台無しにする権利は、あなたたちにあるんですか?
ホントは佐野くんと会って話をしてもらいたい。
みんな笑い、幸せな気持ちになる、彼はそんな人間なんです。
トートバックのことでミスはあったかもしれない。
それは長年やってきた仕事の、ごく僅かなこと。それ以外の多くのデザインの仕事で、彼は社会に貢献し、幸せを振りまいてきたんです。
基本的にはデザインは企業から依頼を受けて作り上げていくことがほとんど。だから、我々デザイナーは見えないところで支える仕事をしています。良い仕事をしても、自分が手掛けたことを知られないで終わってしまうことが多いのです。
今、佐野くんは彼がやってきた数多くの素晴らしい仕事を無視され、僅かなミス(人命にかかわらない)をネタに大衆のストレス解消のステージに乗せられています。
みんなで彼を助けてあげませんか?
そして、ひとの悪口を言うくらいなら、自分のやるべき仕事をしましょう。
まとめ
もちろんメディアやインターネットの発する情報にも、正確で信憑性のある情報がたくさんあります。大切なのは、それらの情報を自分の中で取捨選択して、自分なりの考えに昇華させるということかなと思います。
同業他社が不祥事をきっかけに客離れがおきて倒産したことがあります。ニュースにもなり、世間の反応も冷たいものでした
その時私は、確かに不祥事ではあるけれど会社がつぶれるほどまで追い込まれたことに震撼したものです
不祥事に関わった人間は数名であるのに、1000人以上が職を失いました
しかし、そこから業界では管理ルールをさらに厳しく改め、啓蒙のための講習も頻繁に開催するようになりました
プロとして仕事をする以上、結果を受け止めて改善することは当然なのです
結果にもプロセスにも、疑いそのものを排除しなければならないのです
疑いは、自ら客観的な証拠を持ってそれがないことを証明できなければならないのです
そもそも疑われるような行動をしてはいけない。「李下に冠を正さず」
1500年も前から存在する言葉です
今回これだけ疑われる要素がありながら、疑うこと自体が罪という発想自体、プロの精神として未熟と言わざるをえませんし、これがデザイン業界の一般的な考え方であるのであれば、業界そのものが腐ってしまっているのでしょうね
念のため付け加えますが、人間性や意識の高い云々は客観的な証拠ではありません。デザイン業界ではどうか知りませんが
>それは長年やってきた仕事の、ごく僅かなこと。それ以外の多くのデザインの仕事で、彼は社会に貢献し、幸せを振りまいてきたんです。
普段から画像の無断使用が癖になっていたという事実が出てるんですが
これどうなんでしょ
長年やってきた仕事がひどいという話になってますけど
デザイナーの人は2つの面で見直すべきかと
デザインセンスの一般との乖離
デザイナー内輪で話を進めてデザイン云々やってるのかもしれませんが
一般人の観点からすりゃゴミデザイン出されても困ります
使うのはデザイナーではなく、使用者であり一般人です
プロの感性から一般人が使用し易いものにしてください
プロの感性で、プロにしか通用しないデザインされると、それは一般的にはゴミです
今まで自分の書いてきた文章をよく読みなおすべきです
画像を無断使用してる作者を養護するためにどんな事書きましたか?
どういう考えで書きましたか?
それはデザイナー養護のためだけで、一般からかけ離れてませんか?
覆面で投票でも、自分の作品はこれだと委員の人に見せてれば
覆面の意味なくなっちゃいますよね
あんだけ関係者で投票されると、バカバカしいと思いますね
記名式投票でもないと信用できないのと、議事録を公表してほしいですね
エンブレム自体が盗用かどうだったかは結局本人以外誰にもわからないことですし、
専門家が盗用でないと言うなら、デザインというのはそういうものなんだろうなと思う気持ちもありますが…
オリンピックエンブレムがたまたま他のものに似てたからという、
ただそれだけのことならここまでの事態にはなっていないと思いますよ。
日ごろから無断での画像トレースや転用を繰り返した佐野氏自身のイメージが招いた事態だと思います。いわば自業自得です。
1つ気になるのは、佐野氏の作品における数々の画像無断転用・無断トレースを見ても、お仲間のデザイン業界の方は何も感じないのでしょうか?
細部まで完全に一致するデザインの数々を見た上でなお、佐野氏はクリーンでいい人で、何も悪いはずがないとなぜ言えるのでしょうか?
いくつもの画像を無断でトレースし、コピーライトを消して自分の作品に転用していることに疑問はないのですか?言語道断だとは思わないのですか?
デザイン界では無断トレースは日常茶飯事のことで、
デザイナーなら日ごろから誰でもやっているような常識的なことなんでしょうかね。
そりゃそんな感覚が一般市民に理解されるわけもないですよ。
あなたが共感したという方の文章を読んで失礼ですがとてもゾっとしました。
批判にせよ擁護にせよ感情論を持ち出す人を軽蔑します。
物事の本質をぼやかせて見えなくする卑怯な方法だからです。
問題に触れないどころか「ミス」という一言で片づけてしまうことに違和感を覚えないのでしょうか。
あの感情論しかない文章を一言で言うと「素人は黙れ!批判するな!」ではないですか。
佐野さんの人格まで勝手に想像して面白おかしく叩いているのは明らかにおかしいし批判されるべきです。しかし、そういう主張の文章じゃありませんよね。
それに勝手に人格否定をし叩いていたのは擁護する人にもいるのにそこに触れないのもおかしい。
匿名じゃないですよ、自分の名前を出してるデザイナーが金儲けのために訴えたんだろうとベルギー側を下品な言葉で批判しているのをいくつも見ましたし、あの文章は批判する人を全員悪者扱いしちゃってますよね。
佐野さんを擁護するのにあれでいいと思っているその傲慢さが恐ろしいんです。
擁護したいのであればその「作品」の「魅力」を伝えればいい。
批判している人の中にはその作品のダメな部分を論理的に書いている人もいるんです。
どうしてそういう文章に対し論理的に反論しないのでしょうね。
ネットの一番ダメで陰険な部分に焦点をあてて引用して、そこを否定することで自分の「正義」をアピールするのはとっても簡単ですから素人から著名人に至るまでやっちゃう人が多いのが現状ですが、今回もその手法に見えます。
最後に、本当は私がとても共感した方の文章を引用させて頂こうと思ったのですが自分の意見を書くことにします。
(感情論ではなく論理的に批判している方の文章です、恐らくググればすぐ出ます)
オリンピックエンブレムの原案にそっくり、とされたヤン・チヒョルト展のポスターを見て美しい!と素直に思いました。
オリンピックエンブレムの修正案、原案を見た時には一切出てこなかった感情です。
私はヤン・チヒョルトという方を知りませんでしたが、彼のイニシャルであるJ.T.そしてタイポグラフィの巨匠であることを見事に表現しているシンプルで分かりやすく、かつ美しいポスターだと思いました。
こういう感情を素人にも起こさせることがデザイナーの仕事ではないですか。
何を表現してるのか分からないと言われた時に、素人はこれだからと上から目線で馬鹿にして相手にしないって意見のデザイナーの人がいますが非常に違和感を覚えます。
佐野という人はおそらく人の作品を真似て作る、素材を加工して作ることが得意な人なのでしょう。
そしてそれはそこにオリジナリティがあって独自のものに昇華させているのなら問題ないし、素材を加工することもそれが無料素材や許可を得たりお金を払っているのなら何の問題もないでしょう。
でも、その手法ってオリンピックエンブレム制作に相応しいですか?
私は、似てる似てないとかパクリとか以前に問題があると思うんですよ。
世界中の国々が参加するオリンピックのエンブレムに「T」を使って既存のデザインと似すぎている案を出す佐野さんも
既存のデザインと似てると知りながら「T」をゴリ押ししようとする審査員たちも
一般的な感覚や常識が欠如しているように思います。オリンピックが何か知ってますかと聞きたくなるほどに。
同業者は、この騒動を「やりすぎだ」と心を痛めている方が割と多いのですよ。
そして、その意見を口を出すことが全く意味の無いことだと知っているので静かにしているのです。
「一般の人」を相手にお仕事をしている方がほとんどですので、
この絶望的な状況の中で、自分の考えを主張することが、
いかに愚かなことかということは、植原さんも承知した上で、やっていることです。
植原 亮輔さんは、佐野さんとお友達なのだろうと思います。文面を見ればよく分かりますよね。
私は植原さんの作品は昔から好きで注目していたので、
今回の発言をみて少しびっくりしました。
きっと仲の良いお友達なのだと思いますよ。
友達が苦しんでいるときに感情論抜きでしゃべるなという方が無理な気がします。
ゾッとしたのも、感情論が嫌いなのも、あなたの自由ですが、
でも、この植原さんが感情を持ち出したのにも、理由があるという風には思えないですか?
盗用疑惑についての記事を書いて感じたこと、読ませていただきました。
同感です。
私もデザイナーのはしくれとして(またデザイナーが擁護に出たよと思われそうですが、、)佐野研二郎さんの境遇には心から同情します。これが自分だったら、本当に本当に悔しかったろうなと思いました。そして自分の頭で考えることの大切さを実感しました。
某科学者のコピペ騒動、某音楽家のゴーストライター騒動、、などなど、今まで報道されセンセーショナルに世間に騒がれたことも、もしかしたら違った側面があったかもしれない。私は報道されたことしか知りません。
今回の盗用疑惑も本当のところは本人にしかわかりませんので、真実であろうがなかろうがいろんな事度返しで言わせてもらえば、日本人が日本人の足ひっぱってんじゃねーよ!と強く強く思いました。
giさん、いくつかのコメントありがとうございます!
お返事遅くなりすみません。
やっぱり僕もデザイナーだからなのか、giさんの考えに同感です。
前回の記事にコメント頂いていた、
>疑惑が起こってからの会見での説明で発表されたタイポグラフィーも恐ろしく練り上げられ構築されたもので、純粋に「かっこいい」と思いました。しかし、こんな段階で発表することは佐野氏のデザインの構想上早すぎるものであったのだろうなと、きっと段階的に発表しオリンピックのイメージを構築していく狙いがあったのではないかと想像し残念に思っています。
本当にそうですよね。僕も今回のエンブレムは、今後の展開が見てみたかったので本当に残念。giさんのいう「普遍性」も、まさにその通り。オリンピックエンブレムだからこそ普遍性が大事なんですよね。多数の方が言うように「デザイナー以外の方が見ても、誰が見てもわかりやすいデザイン」というのも、確かに大事だとは思うので難しい問題だなとは思いますが…。
デザイナーの僕からすると、自分のいままでやってきた作業や、制作するうえでの発想など、仕事の経験上どうしても「あれは、パクリじゃないでしょ」「そもそも、パクらないでしょ」って感じることも、そのことをデザイナー以外の方に理解してもらうのは、なかなか難しいんだなと感じました…。というか色々とわかりました。
また、機会があればのぞきにきてください。今後もデザイナーとしてお互い頑張りましょう!
知財に携わる端くれですが、今回のエンブレム単体のデザインがパクリだとは簡単に断言できないと思います。あんなにシンプルな構成要素なら、そりゃあ世の中探せば、何かしら似たようなのはありますでしょう。完全オリジナルだ、パクってないとサーチ結果によって証明する方が困難。悪魔の証明でしょう。
また、似たような外観なので、ヨーロッパの劇場ロゴのデザイナーが不快に思う感情もわかります。こういう似た似てないのって、当事者にとってはとても敏感な問題ですからね。
著作権はあまり関わってないのですが、パクリの有無は、構成要素を観察して、依拠性その他を分析して、当事者主張の上、裁判で白黒つければいい話では。
ただ、エンブレム単体の話とは別に、素材や他者の著作物を無断でコピーしたのは、デザインに関わる者としてあり得ないのではと思います。ポカミスでしたではすまされません。納期やコストはあるでしょうが、ちゃんと法令遵守して誠実にしていて欲しいです。当人にとってはバレなきゃ最終的にはいいのかもしれませんが、やっぱりちゃんとしていて欲しい。こういう無断転用が何度も出てくるのは、当人に対してだけでなく、デザイン業界全体の意識を疑います。
一般人がこの一連の問題をどう論じるかは、コントロールできないし、一部の一般人の執念?によってデッドコピーが判明した限りは、糾弾されるのは致し方ないと思います。法令遵守しておけば良かったのに。
最初のエンブレム単体の似てる似てないの話だけならばこのまま使い続けても良かったかもしれませんが、別枠のデッドコピー問題でエンブレム単体にも悪いイメージが定着してしまった。エンブレムの使用者にとって、使うデメリットの方がどんどん大きくなってしまった。法令遵守しておけば違ったのに。
エンブレム撤回に関する責任の所在がなあなあな感じですが、どう五輪側と彼が契約を結んでいたのか、興味があります。ケースに応じてどちらの責任になるか、契約でできる限り定めるものでは?それとも定めてない?
はじめまして。
わたしも五輪エンブレムに関してはパクリではないと思っているのですが、エンブレム以外の部分でもっと露骨なパクリが次々と露呈していることに関しては、プロのデザイナーの方々はどう思われているのか、聞いてみたいです。
「何も思わない」というのであれば、それはそれで構いませんが、ご意見伺えたら幸いです。
デザイナーの皆さんよろしくお願いいたします。
エンブレム騒動に触れること自体、デザイナーの方々にとっては
リスキーだと思うのですが、大丈夫でしょうか?
(佐野さん擁護派→同じようなことやってるんだろ、過去作品の粗探しをしてやれ的な)
事件が起きたとき、どの業界でも、事情を誰よりも知っているプロの方々からすれば
一言いいたくなる気持ちもわかるのですが、ぐっとおさえて
自身のプラスになることを発信していくほうが得策だと思います。
マスコミの不必要な吊るし上げ、ネット上での過剰な誹謗中傷が加速して問題がぼやけてしまいそうになりますが、今回の問題で、アートや音楽等の芸術分野で常日頃感じていた一般国民いわば分野外の素人と呼ばれる人々と、専門家と呼ばれる人々との間での隔たり、深い溝を改めて痛感しました。
素人の審美眼の無さ、勉強、知識不足だけで切り捨てられるものでしょうか?
私もデザインを生業としています。
植原亮輔氏のFacebookの投稿を読みましたが、佐野氏を取り巻く甘い環境が分かる投稿だと思いました。
今回のオリンピックエンブレムの件に限って言えば、佐野氏は盗作していないのかもしれません。しかし、サントリーや羽田空港・渋谷の街の画像、それに最近発覚した京扇堂の件は「クロ」です。
それぞれの案件に言い訳はあろうかと思いますが、結果的にクライアントに迷惑をかけた時点で、その責任を取らないといけません。
確かにネット民の叩き方は尋常ではなく、佐野氏の家族や親戚に至るまで攻撃することに関しては同情しますが、その種をまいたのは紛れもなく佐野氏です。
例えばサントリーの件ですが、作業したのは事務所のスタッフかもしれませんが、自身の会社から出す作品(納品物)にポリシーはあるのか、と問いたいです。得意先に納品したものが良い物であれば、仕事が評価され、また次の仕事につながります。そうして信用を積み重ねるものですが、佐野氏のサントリーの仕事にはポリシーを感じません。「やっつけ」と言われても仕方ないです。
その後、コピーライトを意図的に消した画像をオリンピックという世界的イベントの提出物に使ってしまう浅はかさ。
商標というものを軽く考えていたのでしょう。
仲間内で慰め合うのはいいでしょう。しかし、仕事に人柄は関係ありません。
また、
「我々デザイナーは見えないところで支える仕事をしています。良い仕事をしても、自分が手掛けたことを知られないで終わってしまうことが多いのです。」
という記述がありますが、こんなこと当たり前です。これはデザイナーに限ったことではありません。
佐野氏が今後どうなるのか分かりませんが、彼の信頼が地に堕ちたことは確かです。ここから這い上がるのはたいへんでしょうが、衿を正して頑張って欲しいですね。
ケイさん、こんちには。
おっしゃるとおり、確かに佐野さんの脇が甘かったのかもしれませんね。
サントリーの件も、いくら佐野さんが直接画像を流用していなかったとしても、そういう社風を作り出すような、何らかの原因があったのかもしれませんね。
貴重なご意見、ありがとうございました。
脇が甘いという一言がおかしいと思うので一言申し上げたい。
ロゴの展開例でのコピーライトを消すという行為は脇が甘いで済むはずありません。
悪質以外の何物でもありません。
他者の権利侵害の証拠が出たら脇が甘いっていうのは呆れます。
そんな甘い世界に慣れているからグラファスからの写真盗用も自分で写真を撮ったというありえない嘘をついてしまう原因だと思います。
僕は悪質とは思っていません。
グラファスからの写真盗用の件は、あまり詳しくないのでなんとも言えませんが、ロゴの展開例に関していえば『本来、公の場に出るものではなかった』ものです。
公の場に出ない場合であれば、画像を流用していいという訳ではありません。もちろん基本的にはNGです。
ただ、僕が勤める会社での事柄を例にだすと、デザイン本体以外の『社内でプレゼンする資料』『お客さんに見せる前の資料』『お金になるのかわからない資料』の、いち素材に費用や時間をかけるということは、ほぼありません。それをやっていると、会社がなりたたなくなってしまいます。もちろん、社外にだす場合は別ですが。
もちろん、オリンピックのエンブレムという事を考えたら、たとえ佐野さんが会社ではなく個人で参加していた(時間的な制約や予算)ということを考えても、そこは慎重に行う必要があったのではと想像したので、『脇が甘かった』という表現になりました。
なので、個人的には『悪質』というよりは、『認識が甘かった』という方が府におちます。
素人の審美眼の無さ、勉強、知識不足ではなく、
端的に言えば「興味の対象の違い」ですよね。
これはあらゆる業界に言えることで、陸上選手にとっての0.1秒、工場の職人にとっての0.1mm、食通にとってのA店、B店の味。コピーライターにとっての言葉づかい…
人それぞれ興味の対象があるわけで、興味が深い程メモリの感度が優れるから
他の人から見ると「同じじゃん?」に「いや違う!」っていう話になる。
ただ佐野氏は明らかに盗用しているものがあるため弁護はしないが、
当初の似てる似てないに関しては「似ているが十分共存できる」ことをみんなには理解してもらいたい。
僕からすると外観が円と四角の時点で全く違うし、劇場の右上に円はない上にモノクロ白抜きで全く違う。
ましてや一国の象徴である「イタリア国旗」と「フランス国旗」は配置が全く同じ上に3色ボーダーという制約まで同じ且つ用途も同じ。
道端でアンケート行ったら何人か間違えそうなこの二つが共存しているという事実を冷静に考えて頂きたい。
デザイナーの方や識者と呼ばれる方の中にも、未だに今回の白紙撤回の原因がエンブレムが似ていたから、だと思っている人が多いことに驚きます。
今回の決定的な原因は、佐野氏が他の仕事で盗作をしていたこと、です。それによって多くの国民が佐野氏と佐野エンブレムに不信感と嫌悪感を持ったからだと私は思ってます。
そしてそれは当然のことで、盗作をするようなデザイナーのデザインしたエンブレムなんか嫌だというのが普通の感覚だと思います。
ひとつのミスなんかではなく、絶体にやってはいけない確信的な悪事です。
確かに過度な誹謗中傷はいけませんが、適切な批判はあってしかるべきだと思います。
佐野氏がコメントの中で誹謗中傷が撤回した100%の理由であるかのように言っていたことも違和感を感じました。
私は工学研究系の学生です。
デザイナーの方の生のご意見も聞けそうなので、ちょっと遅めですがコメントさせていただこうと思います。
私は、オリンピックのロゴのみに関して言えば、佐野さんのデザインに、盗用のような非はないだろうと考えています。加えて、佐野さんが悪い人ならば氏に対して、何を言っても、何をやってもいいと思っているような方々についても、否定的な立場でいます。周りのこと(サントリーのデザインや内部資料用の写真,審査委員会)は、今は関係ないので、とりあえず無視します。
私が疑問に思っているのは、デザイン業界(言葉が適当かわかりませんが)の考え方と、なぜ佐野さんの作品のエンブレムの評価が高いのかという点です。
いろいろな方が、デザインの来歴や、そこに込められた意味などがいかに優れたものかを説明されています。内容自体は納得できましたし、私はそれを読んだ後、盗用の可能性はないだろうと考えるようになりました。俳句の掛詞のような面白さも感じるようになっています。いくつか気になる点もありますが、この前記事の主様のご意見にも大筋で同意いたします。
ですが、同時に、このエンブレムだけを見ても、そこまでたどり着かなかっただろうなとも思いました。せいぜい、東京のTと日の丸かなくらいに最初は考えていました。そして、私だけが佐野さんのデザインの真意を見抜けていなかった、とも思いません。
商用デザインを生業とされている方々は、どういった点に注意してデザインをされるのでしょうか。
そして、商用デザインという目的を考えたうえで、なぜ、このエンブレムは評価が高いのでしょうか。
いただいたお答えに反論するつもりも、否定するつもりもございません。
考え方として、教えていただきたいのです。
最後に、前記事から続けて読みましたが、世論とのずれなど、大いに同意いたします。
アカデミックかつ工学系の人間なので、stap細胞やら原発問題でいろいろなことを考えました。
その上で、業界の方が佐野さんの擁護をするのは、逆効果だと思います。
stap細胞や、原発問題の際に、同業者や同業界の方から記事のようなコメントがでたら、どう思っていたでしょうか。
catさん、コメントありがとうございます。
僕もグラフィックデザイナーなのですが、正直このロゴをパッと見たとき、それほど良いロゴだとは思いませんでした(笑)
このロゴがすごいなと思ったのは、ロゴを分割して動画や色々なものに使用できる展開例、パラリンピックと対(色だけ変えてデザインは同じ)になっている、などなどを知ったあとに「このロゴは考えて作られたな」と初めて感じ、改めてこのロゴのすごさを認識したという感じです。
ロゴは誰にでも覚えてもらう必要があるので、シンプルなものが多いです。ただ、その『シンプルな形』に、いかに企業などの思想やイメージを反映させられるかが、商業デザインでは大切になってくるのかなと思います。言葉で表現するのは少し難しいかもしれませんが、例えば一般の人が美味しいと思う料理とプロの料理人が美味しいと思うところは違うのかもしれないといったところでしょうか。
今回の件も、仮に佐野さんのロゴにクライアントがいたとしたら好評だったと思います。ただ、一般の人には不評だった。オリンピックのロゴでいえば、もっと一般の人が好むようなロゴにするのが妥当だったのかもしれません。
僕も佐野さんを特別擁護するつもりはなくて、単純に同じグラフィックデザイナーとして思うことを書いています。同業の人の意見と、同業以外の意見ってなかなか違うものだなと、改めて感じます。
yoshinari.T さん
ご返答ありがとうございます。
伝わらないならダメ
というような簡単なものではないのですね。
ご回答いただき、ありがとうございました。
デザイン業の方は、今は過渡期にいらっしゃると思います。
今回の件で、今はデザインのパクリを探すなどネガティブな見方をしている人が多くなっているとは思いますが、それでもデザインというものを意識的に見る方・興味を持つ方は確実に増えたと思います。
そして、見る人が増えれば、(少なくとも一般人から見た)そのデザインの”評価”への信頼性は高くなっていくと思います。その分、競争なども厳しくなると思いますが・・・
なので、今をうまく乗り切れば、デザイナーとクライアントとその顧客が、個人の好み・程度差はあるにせよ、共通の認識をもつ社会になっていくのではないでしょうか。
そうなれば、もし今回のようなことがあっても、同業の方にあらぬ嫌疑がかかることもなくなるでしょう。
日本のトップデザイナー、あるいはその会社の名前をあげたとき、国民の10人に一人くらいは”知っている”と答えられる、そのくらいにはデザイナーの方が表に出てもいいのではないでしょうか。
生意気を書きました。
そうですね!
おっしゃるとおり、今回の件でグラフィックデザイナーに注目が集まったというのは、良くも悪くも大事なことだったと思います。
お互い分野は違いますが、頑張りましょう。
はじめまして。
地方でグラフィックデザイナーをやっています。
この記事を読んで泣けました。実は先日、私が作った企業ロゴにパクリ疑惑を持たれ、今対応に追われているところです。
もちろんパクっていません。その「パクったであろう」ロゴを見たこともないし、ロゴ制作までの経緯を説明してもしそれが理解していただけるなら信じてもらえるとは思っています。
だけどいま、怖くて怖くてもう何もデザインできなくなりそうです。
何かをデザインするとき、パクって済むならこんな苦労しないよ!と言いたいけれどきっとデザイナーにしか通じない言葉なんじゃないかと思うし、デザインをするときのモチベーションはお金じゃないというところは解ってもらえないんじゃないかと。
私が作らせてもらったものが割と大企業のロゴだったため、これからまたどんどんいろんなものを引っ張られて責められるんじゃないかというのは想像に難くありません。
私には佐野さんのように大勢の人の前で説明をしたりバッシングを受けるほどの精神力もありません。
パクってないことは絶対に言い切れても一度生まれた不信感を消したりなんとか理解してもらおうとするよりもいっそ消えてしまった方が楽になるのでは、と頭の中がグチャグチャです。
数え切れないほどあるロゴの中で、似ているというだけでパクリ疑惑を持たれるのはやはりしばらく続きそうですよね。
負けたくないけど、リスクの方が大きいのならこのままオペレーターに徹して生きていこうかなと思い始めています。
文章めちゃくちゃですみません。
LL68さん、コメントありがとうございます。
非常に辛い状況なのですね。お気持ちお察しします。
これは僕の個人的意見ですが、LL68さんの作られたロゴの「完成に至るまでの経緯・ロゴに込めた思い」をきちんとクライアントに説明するのが良いのではと思います。
たとえそれで相手の不信感が拭えないとしても、LL68さんのやられた仕事や自分にまで嘘はつかないほうが良いのではないかと思います。相手がまともであれば、きっとわかってくれます。
出来うる限りの努力をして、それでもクライアントからの不信感が拭えないのであれば、それは諦めるしかないかもしれません。佐野さんの盗用疑惑があったこの時期なので、それもある意味仕方のないことです。
ただ、何もしないで諦めるのと、精一杯努力をして諦めるのでは、今後の人生に随分と違いがでてきそうな気がします。一生悔いが残るかもしれません。
確かにオペレーターに徹する方が楽かもしれませんが、大企業のロゴに採用されるだけのLL68さんの実力がもったいない気がします。
これも、僕の勝手な想像ですが、佐野さんも今回のロゴを作ったことは、きっと後悔していないと思います。今でも自分の作ったロゴに自信を持っていると思います。
きっと、いつか世間が佐野さんの仕事を評価する時がくるのではないかと僕は勝手に思っています(笑)
大変勝手な意見になりますが、辛いのは今だけです。きっと後で笑える日がくるので、自分に正直にどうか頑張ってください!
お返事ありがとうございます。
Yoshinari.Tさんのおっしゃる通り、今逃げたら一生悔いが残りそうです。できる限りのことはして、もしダメだったら諦めます。
私は、正直実力はあまりありません。ですが私の周りではアート業務は良くも悪くも丸投げ的な発注が多くて、実に孤独な作業が続いています。できれば発注者とコンセプトなど話し合って決めたいという旨も「そんなのに割いてる暇はない」とのことで却下され続けています。
良い風に考えれば信用してくれて好きなように作らせてもらえるのですが(もちろん常識の範囲内で)、一業者の私としてはとても恐ろしい任務です。
手抜きは一切ないし細心の注意は払いますが、私一人では対処しきれない事案があって今回のことも起きるべくして起きたことのような気がします。
この一件で、今後どう変わるのかわかりませんが、catさんもおっしゃっていた
「今をうまく乗り切れば、デザイナーとクライアントとその顧客が、個人の好み・程度差はあるにせよ、共通の認識をもつ社会になっていくのではないでしょうか。」
という風になるように、そしてそうなった時に対応できる力をつけたいです。
愚痴っぽくなってすみませんでした。客観的なご意見をいただけて本当に助かりました。
頑張ります。ありがとうございました!
こちらこそ、少しでもお役に立てて嬉しいです。
僕も含めて、LL68さんのような境遇のグラフィックデザイナーさんは結構多いと思います。
それでも、自分自身が少しでも意識を高くもって、少しづつでも戦い、努力していくことで、着実に環境が良い方へ変化していくと思います。
少しづつでも理想に近づけるように、お互い頑張りましょう!
中高生時代にデザイナーの世界に夢を抱き、現実の厳しさからその夢を捨てたアラサー男性です。
前編と本編、両方興味深く読ませていただきました。
このような記事をアップしてくださった勇気に敬意を表します。
コメント欄を拝見していても感じるのですが、ロクに身分も明かさない門外漢の連中が、どうでもいい赤の他人の実にくだらないミスを槍玉に叩きまくるという事案が急増しています。己の不満を具体的行動に転換できない、ニワカ評論家が多過ぎます。実に無責任です。
国家の一大事なのだから、くだらない問題ではない?
だって、たった1億分の数十人がやらかした凡ミスでしょう? そんなの、私の目からすれば実にくだらないミスです。そのミスが原因で、誰か死んだりするんですかね? あり得るとすれば、過剰に焚き付けることで自殺者が出る、その可能性の方がよっぽど高いでしょう。もしそんなことになったら、誰が責任取るんでしょうね?
他人の不幸は蜜の味なのでしょうか、植原さんの「ひとの悪口を言うくらいなら、自分のやるべき仕事をしましょう」という言葉はとても重いです。人を叩いている暇があったら、他にやるべきことが山程あるだろう。今この状況においては、ロゴ再公募に自ら応募するというのが一番現実的な行動でしょう。
それができないというのであれば、今彼らを批判している連中は‘デザイナー’という職にもう少し敬意を払うべきです。素人がどんなにわめこうが、餅は餅屋なんです。当選できなかったのを有権者の所為にする政治家と同じなのです(そんな人が実際に居るのかどうか、知りませんけど)。
過去の仕事に落ち度があったとしても、応募要項には「聖人君子であること」とは書かれていません。不倫経験者はNGでしょうか、交通事故の加害経験者はNGでしょうか? そんなこと言い出したら、たとえば大御所芸能人はその大半がTVから姿を消すでしょうね。ただし、再公募時の選考委員会には‘身体検査’の重要性は真剣に認識して欲しいです。
かく言う私自身も、次回公募には応募してみたいと考えています。
採用なんてされる筈もないのですが、素人デザイナーの思いを選考委員会にぶつけてみたいのです。
毎月徴収されているAd○be税の減価償却、という一面も否めませんが…。
長文駄文、失礼しました。
Magicianさん、コメントありがとうございました。
Magicianさんのおっしゃるとおり、「人を叩いている暇があったら、他にやるべきことが山程あるだろう」というのは、僕も同意見です。
一般の人から公募ができるようになれば、また面白い試みですよね。その時はぜひ頑張ってください!
同業者のしかも一流のデザイナーには理解出来て
一般人に理解できないロゴを評価するなんて広告としては終り
一般ウケが悪いクラシックの演奏でも人に見せるならいかに
興味もってもらえるかってスタンダードな曲から演奏するよ
仲間内では一流だけと思うけどプロではないかな。
盗用より審査については問題は終わってない感じですよ
http://togetter.com/li/949989
古平正義氏がかなり告発されています。